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ずっと行かずに想う場所


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先日、自主保育のメンバーが、
久高島に行きたい、と話していた。
彼女は鳥居を見ると萌える&聖地が好き、なんだそうな。
私には全くない感覚で、新鮮に感じながら、
久高島、むちゃくちゃ近いしすぐ行けるから、行ったらいいのに、と言った。
彼女くらい潔い「好き」なら、久高島も嬉しいのでは。
なんだかインパクトがすごくて、しばらく、
私にとってキャピキャピするほどの行きたい場所ってどこなんだろう?と考えた。
(まだ出ないけど)


私は18歳の時、夏休み前の大学の掲示板で
リゾート地のバイトをみんなが見ていたので
友人と二人で私も見ていて、何を間違えたか、私は山の山頂の小屋、友人は麓の民宿に配属され、
夏中一度も会わないままバイトが終わった。
木曽御嶽山。
数年前に噴火して、多数の死傷者が出た日本で15番目に高い山。
山頂での1カ月、毎日雲海の上にいた。
頂上には神社があり、そこを目指した信者さんが小屋の大半のお客さんだった。
雲海から昇るご来光を見たら、
ああ、こんな光景を見た昔の人が、神様を祀るのは当然だな、と思った。
ゾクゾクするような、不思議な感覚。
休火山で、地獄谷と呼ばれる谷あいからは毎日硫黄の香りが立ち込め、噴煙が上がっていた。


そもそも登山は現代人の遊びで、
もともとは楽しみに訪れるような場所じゃなかったんだろう。
私は完全な装備で、寒くなく濡れなく食料もあり、という状態で初めて楽しめるのだから。
昔々、初めて登った人にとっての木曽御嶽山の山頂は、
日本の聖地だったんだと思う。

その翌年も同じ場所にバイトに行って、そのあと、ワンダーフォーゲル部のみんなと槍ヶ岳に行った。
とんでもない場所やなあと思った。
初っ端から荷物が重すぎて、みんなが少しずつ分担してくれ(一番やったらあかんこと)
途中の西岳で、鎖場が怖すぎて2度と来たくないなと思い、
槍ヶ岳の山頂で、ここは人間の来る場所じゃないなと思った。
恐ろしく寒い、せまい、登るの大変、風がきつい、一歩間違えばたぶん落っこちる・・・
楽しいことはいっぱいあったけど、場所としては、もう私はいいかな、と思った。
人生で一回は行けてよかった!

さらに翌年は、バイト先に後輩と一緒に行き、それから初めて富士山に行った。
すぐあとにオーストラリアに行く予定があったから、日本人として行っとかなあかんかな、くらいの気持ちで。
(オーストラリアで、日本人とはだれか?について深く考えることになるとはつゆ知らずの思い付き)
むちゃくちゃ登山道が整備されて人がいすぎた違和感はあったけど、日本一の威力はそれなりにあった気がする。
一緒に行ったメンバーのおかげだけど、登って涙が出た山は富士山だけだなー。
荒涼とした山頂のクレーターをチラッと見て下山。レジャー登山だった。

そしてオーストラリア。
いろんなことがあった半年だけど、
オーストラリアの歴史、背景を行ってから深く知り、
先住民の人の話を聞いて、聖地は本当に大切に思っている人がいる大切な場所なんだとつくづく思った。
先住民アボリジニの方に出会っていなければ、登ったであろう一枚岩や、写真を撮ったであろう場所がたくさんあった。


宇宙の中の一点としての自分としてなら、
どこに登ろうが、写真を撮ろうが、触ろうが、どっちでも、いいんだろう。

でも、わたしはあの時、
ああ、よかったー。ほんまによかった、とつくづくつくづく思ったのだ。
アボリジニの人から、ずっと暮らし繋いできた想いを聞いて。先に聞けて。
私は、この人たちの想いを尊重する、という選択をする機会があるんだな、じゃあそうしよう、と。
オーストラリアの砂漠の記憶は全部胸にしまった。
私にとって、人生で相当大きな経験だったから、
あの数ヶ月を共にした大学の仲間とは感じ方には微妙に差があれど、一生通じ合う感覚みたいなものを持っている。
かたくなだった19歳の私。

あれから15年以上が経ち、色々あっての今、沖縄に暮らす日々。
夫は、地域に根ざしたタイプの沖縄の人。
そして、沖縄のことに詳しいタイプの沖縄の人。

私は沖縄になかなかなじめなくて、だからといって沖縄の人になりたいと思ったことがないし、沖縄を好きになろうと努力もしたことがない。。。
たまたま結婚して沖縄に来た、だけ。
気軽に来るには、なかなかのインパクトとこれまでのニッポン生活からはかなり違うことだらけで
戸惑った期間は短くなかったけれど・・・。


今思うのは、やっぱり15年前と変わらない。オーストラリアでの経験が今につながっている。
それは、
その場所を大切にしている人の想いを大切にしたいということ。
自分がその場所に対してどうか、ということよりも。
だから今は、
沖縄を大切にしようとしている沖縄の人の想いを尊重して暮らして行きたいということ。
真横で沖縄への想いを爆発させている夫がいるから、まずは夫の気持ちを尊重したい。
そして今暮らす地域の方の気持ちを大切にしたい。
とはいえ、私は、知らずにやらかしていることも多々あるのだろうけれど・・・

気づけば好きになる努力はしなかったけど、
もう、すっかり沖縄に好きな場所や人が出来てしまった。
そんなもんだと思う。
沖縄になじめなくて悩んでいたころ、沖縄を好きになろうとしてる?って聞かれたことがあったけど、
そして当時はその努力をしていない自分=あかん、みたいにへこんだ。

でも、私はそもそも人にも場所にも好きになる努力なんてしたくもないし、しなくても結果は決まってるんじゃないかなと思うのです。
好きになる努力ってなんだろう。
好きになるときはなるし、たいていは、エ?って思う部分もあって、それを補ってあまりあるから、好き、なんだろうし。
ってややこしい。

好きになるときはなる、なれないときはなれない!



沖縄にも、聖地というのは いっぱいあって、本やらネットやらでたくさん紹介されて、癒されるやらなんやらかんやらと目にする。
別に誰がどこで癒されようともいいんだけど。
誰でも癒せるくらいの懐の深さもマイナスイオンも、聖地には余るほどにあるのだろうけど。



私は、
一生見ない場所、行かない場所として
想う場所が全然ありです。

星野道夫さんの本でトーテムポールの話がよく出てきます。
朽ち果ててゆくトーテムポールを
縁もゆかりもない場所に移設して保存する博物館と、
朽ち果ててゆくのを見つめ続ける先住民の人々の暮らし。


興味本位で見るならレプリカで充分、
その場にあることで価値があると考える人だちから剥奪してまで永久保存する意味は、、あるのかな?


私にとって行かなくていい場所は、誰かにとっての大切な場所。
その誰かを大切に思いたい気持ちはすごくあります。
私は私の具体的に大好きで大切な場所を大切にするのが一番わかりやすい。


登山が好きな私ですが、何度か行った沖縄の山は、いつになく
お邪魔します、の気持ちになって、
下山したら、お邪魔しましたって言ってたなあ。
なんか自分はよそ者だからという意識があったんだろう。
目に見えるわかりやすいものの世界で生きてきたのに、沖縄では山にも海にも、そろーりとお邪魔します。楽しませてもらいます、の気持ちがいつもある。
最初は行き場かなかった、その、よそ者感。
今は家族も増えて、長い付き合いになりそうなこの地を大切に思う気持ちとイコールだから、嬉しい大事な気持ちです。


夫には、幸せにしてもらおう、なんて思わなくて、むしろ、私と暮らせて幸せでしょ、と。わら
沖縄には、私が楽しく暮らしていくことが沖縄にとって良いはずや、と。
それくらいの図々しさをさらっと思えるくらいにはなりました。

ともあれ、
夫も沖縄も、これからもよろしくお願いいたします。
ははは。






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by mypace55 | 2016-11-25 21:59 | 日々